(参考:神峯山寺秘密縁起)
阿弥陀信仰とは、後に天台宗より派生した融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗などの浄土系仏教に見られる教え。貴族と一般民衆の経済格差が顕著になり、困窮な生活を強いられた人々の間で広まったことから、民間信仰とも言われています。ここ神峯山寺でも、天台宗寺院として皇族と深く関わる一方、平安後期に人々を救済する阿弥陀信仰が栄えました。ここでは、神峯山寺の阿弥陀信仰の歴史と特徴について詳しく解説していきます。
阿弥陀信仰で崇める阿弥陀如来
は、人々の身体から悪鬼・悪霊や病魔を退散させ、慈悲の心で民衆を救済する仏様。神峯山寺には、阿弥陀如来の持つ力を証明する伝説が残っています。遡ること約1000年前。神峯山の麓の村に暮らしていた橘輔元(たちばなのすけもと)という民は、不治の病を患っていました。しかし、病魔に蝕まれた身体で神峯山寺を訪れ、幾日も一心不乱に念仏を唱え続けたところ、病気は全快したというのです。
この伝説には、その信憑性を高めるエピローグがあります。全快した輔元はその後、息子と共に剃髪し僧となります。その折に就いたのが、比叡山で天台宗を学び、京都・鞍馬寺の毘沙門天に促され融通念仏宗を開いた良忍でした。やがて輔元の息子・忍恵(にんえ)は神峯山寺の住職となり、摂津の地に融通念仏を広めます。これら由来から、神峯山寺の阿弥陀信仰は天台宗、そして毘沙門天とも深く関わるものだったということが分かります。
神峯山寺秘密縁起にその後の記述はありませんが、鎌倉以降より現代に至るまで、神峯山周辺では阿弥陀信仰が栄え、多くの民衆が神峯山寺の阿弥陀如来像に向け手を合わせたとされています。近世に阿弥陀堂は火事により消失してしまいましたが、阿弥陀如来像(国指定重要文化財)は難を逃れ今も境内に鎮座、1000年に及ぶ信仰の証となっています。また、近年は新たに建立された「嶺峰院納骨堂」にも阿弥陀如来像が造られ、訪れた人々を優しい目で迎えています。










