毘沙門天の起源を辿るために、更に時代を100年遡ります。当時、各地の峰々を信仰の対象としていた修験道の開祖・役小角
(えんのおづぬ)は683年、神峯山の地で金比羅童子
(山の神)に出逢い、お告げにより伽藍を建立。童子は霊木から四体の毘沙門天を刻み、一体は神峯山寺に留まり、第二は京都・鞍馬山へ、第三は奈良・信貴山へ、第四は神峯山の北峯へと飛び去ったとされています。
神峯山寺の毘沙門天がもたらした影響は、これに留まりません。最澄を開祖とする天台宗の流れを汲む神峯山寺は、天台宗より派生し平安後期に民間で栄えた阿弥陀信仰(浄土思想)とも深く関わっています。特に、比叡山の高僧・良忍は、鞍馬寺の毘沙門天に促され融通念仏宗を開いたとされ、その弟子・忍恵は神峯山寺の住職となりこの地で融通念仏を民衆に広めたと言われています。
歴史を一つひとつ辿れば、神峯山寺は時代が移る度にその存在価値を変え、時を積み重ねる度にさまざまな信仰が融合し在り続けた寺院であるということが分かります。そして、神峯山という峯で交錯した多様な信仰の中心には、常に毘沙門天が時空を超え鎮座していたことも理解できるのではないでしょうか。1300年余りの時流を、雄々しい目で見守り続けた神峯山寺の毘沙門天は、唯一無二の独尊と捉えることができるかもしれません。













