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境内案内図十三重塔神峯山寺と皇族の所縁(1)

神峯山寺と皇族の所縁

歴代天皇の勅願の地(参考:神峯山寺秘密縁起)

長岡京・平安京遷都を命じた桓武天皇の実父にあたる光仁天皇の勅願所であり、明治政府の要人として活躍した有栖川宮熾仁(たるひと)親王をはじめとする有栖川宮家の祈願所であるなど、神峯山寺は中興時から皇族と深い繋がりを持った古刹です。その証として、境内には天皇直系の所縁であることを表す『十六八重菊写真表示』が刻印された建造物が点在しています。ここでは、神峯山寺と皇族との関係について紐解くことにしましょう。

龍が宿る霊山を中興した開成皇子

――その始まりは、桓武天皇が長岡京遷都を命じるより少し前の時代。先代・光仁天皇は、774年に息子の開成皇子写真表示に対し、既に修験道(山岳信仰)の開祖・役小角写真表示により開山された神峯山寺の中興を命じました。当時の修験者達は熊野山・吉野山・葛城山など畿内の霊山を駆け抜け、神峯山もまた龍神が宿る地として栄えていました。一説では、中興の理由は、長岡京周辺の仏教による思想統一を図る思惑があったからだとも言われています。

霊山を駆ける修験者と政治的背景

また、皇族が霊山・神峯山を重要視したもう一つの理由として、峯々を駆け抜ける修験者達が持つ「情報ネットワーク」がありました。真意は定かでありませんが、政治を司る皇族は、素早い情報収集・伝達のために彼らの性質を活用していたとも推察されています。とまれ、光仁天皇の命を受けた開成皇子は神峯山寺をはじめ周辺の寺院を次々と中興し、それらを勅願所として後世に残していったのです。

天台宗伝播以来、1200年の関係

やがて都は平安京へと遷都され、806年には中国より天台教学を持ち帰った最澄が比叡山で天台宗を開きます。桓武天皇が最澄を援助していたことから、以降、天台宗は皇族所縁の宗派として全国へと伝播していきました。開成皇子の手で中興された神峯山寺もまた、その流れから平安初期に天台宗寺院となり現代に至ります。境内には光仁天皇御分骨塔(十三重塔写真表示)や開成皇子御分髪塔(五重塔)が、今なお静謐に神峯山寺を見守り続けています。

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