さて、時代は平安中期の貴族文化へと移ろい、鎌倉時代には武士の台頭が始まります。その後の数百年、皇族との所縁が記された文献は残されておらず、神峯山寺は鎌倉時代から江戸時代にかけて一般民衆や戦国武将、大坂商人との絆を深めていくこととなります。一度は皇族との関係が切れてしまったかの様に思われましたが、それを払拭したのが、宝塔院(本坊)で見つかった伏見宮邦家親王直筆の掛軸でした。
伏見宮邦家親王は、かつて皇位継承候補としても名が挙がったことがある伏見宮貞敬(さだゆき)親王の第一王子。その直筆に「日本最初毘沙門天
」とあり、その御裏書
までが残されていたことから、神峯山寺が毘沙門天最初の出現地であったこと。また、平安中期以降も変わらず皇族が帰依していた場所だったということが明らかになったのです。その繋がりの強さは、境内各所にある『十六八重菊』が何よりの証明となっています――。









